![]()
1990−91年 原宿RUIDOで伝説のライブ活動
1992年 いよいよホールに進出
1993年8月 日本武道館2DAYS
1995年9月 解散
篠原涼子、YURI(EASTEND+YURI)、穴井夕子を擁した伝説のダンスユニット
チャート的には振るわなかったが、
各ユニットによる独特の売り出し方法は、現在のモーニング娘。にしっかり受け継がれている。
篠原涼子は、1994年ソロで大ブレイク。現在のドラマでの活躍は言うまでもない
穴井夕子は、現在、結婚し、一児の母。
WHAT IS 東京パフォーマンスドール ??
SPEED、モーニング娘。などのアイドルユニットの先駆けとなった、伝説のアイドルたち
上記7名は、フロントメンバーであり、2軍メンバーも数十名存在していた。
CDリリースは、7名全員でのリリースよりも、ソロやユニットでリリースされる事が多かった。
1990年5月から1991年10月まで約1年半連続で、怒涛のシングルCDリリースがなされた。
1992年より、グループ全体としての行動を強化。
アルバムについては4TH、5TH、6TH、7THがオリコンチャートBEST10入りを果たす。
人気の翳りは、1994年、人気メンバー 篠原涼子、市井由理(YURI)らの卒業脱退の頃から。さらに、翌年1995
年、穴井夕子までが卒業してしまった事で、凋落は決定的になった。
TPD関連リンク
穴井夕子公式HP
DISCOGRAPHY
黄色はアルバムです
1990(創成期)
1TH SINGLE:ジャストライクマジック(C/W:カラオケ)
/ゴルビーズ(木原さとみ・篠原涼子・川村知砂) 1990/05/21
2ND SINGLE:愛がすべて/黒いオルフェ 篠原リエ(91年脱退) 1990/06/21
3RD SINGLE:予感/LOVEが泣いている 米光美保 1990/07/21
4TH SINGLE:ブギウギ・ダンシング・シューズ/ ロコモーション
木原さとみ(C/W 初代TPD) 1990/08/01
5TH SINGLE:純愛90’s /お熱いのはお好き? 原宿ジェンヌ(篠原涼子・川村知砂) 1990/08/22
6TH SINGLE:天使のささやき (C/W:カラオケ) ゴルビーズ 1990/10/01
7TH SINGLE:誓い/バッド・ディザイアー 川村知砂 1990/11/01
1ST ALBUM
Cha-Dance Party Vol.1/東京パフォーマンスドール 1990/11/21
(木原、米光、篠原涼、川村、井口、柳瀬、篠原リ) 斜体は脱退者
8TH SINGLE:LAST KISS/夜明けのハート 米光美保 1990/12/21
1991(人気急上昇期)
9TH SINGLE:誘惑のブギー /愛のさざなみ 木原さとみ 1991/01/01
10TH SINGLE:恋はシャンソン/ カメレオンカフェ 篠原涼子 1991/01/21
11TH SINGLE:恋して女みがいて /ビバ!ケセラセラ! 市井由理 1991/02/21
12TH SINGLE:WE SHOULD BE DANCING/ 砂に消えた涙 穴井夕子 1991/03/21
13TH SINGLE:千夜一夜/そっと・・・ 原宿ジェンヌ 1991/05/02
14TH SINGLE:WAKE ME UP!! /WEEKEND PARADISE 東京パフォーマンスドール 1991/07/01
2ND ALBUM
Cha-Dance Party Vol.2/東京パフォーマンスドール 1991/07/25
(木原、米光、篠原涼、川村、市井、穴井、八木田) 斜体は新加入者
15TH SINGLE:あこがれMidnight Train /街路樹の向こう側 米光美保 1991/07/06
16TH SINGLE:黄昏蝶々/褐色泥棒 FALL IN LOVE 原宿ジェンヌ 1991/08/23
17TH SINGLE:NIGHT RAIN/サヨナラにKissを 木原さとみ 1991/09/01
18TH SINGLE:NATURAL LOVERS/HISTORY 穴井夕子 1991/09/21
19TH SINGLE:青空のハイウェイ/Romanticに背伸びして 八木田麻衣 1991/10/10
20TH SINGLE:BEGIN THE 綺麗 (C/Wカラオケ) UL-SAYS(篠原涼、穴井、米光) 1991/10/25
3RD ALBUM
Cha-Dance Party Vol.3/東京パフォーマンスドール 1991/11/21
(木原、米光、篠原涼、川村、市井、穴井、八木田)
1992(RUIDOからメジャー進出)
21TH SINGLE:夢を/ストレート・アヘッド 東京パフォーマンスドール
(C/Wゴルビーズ&米光) 1992/04/08
22TH SINGLE:放課後はいつもパーティー /Tokyo Romance 東京パフォーマンスドール 1992/06/21
23TH SINGLE:おちゃめなジュリエット/Romanticに背伸びして 市井由理
(C/W 八木田麻衣) 1992/07/08
4TH ALBUM
Tokyo Romance〜Cha-Dance Party Vol.4
(木原、米光、篠原涼、川村、市井、穴井、八木田) 1992/07/08
24TH SINGLE:スコール/バード 篠原涼子 1992/07/22
25TH SINGLE:I Want You! 心のルール 穴井夕子 1992/07/22
26TH SINGLE:CATCH!!/ OVERNIGHT SUCCESS 東京パフォーマンスドール 1992/10/21
27TH SINGLE:十代に罪はない/SaturdayNightFantasy 東京パフォーマンスドール 1992/11/21
5TH ALBUM
CATCH YOUR BEAT!!〜Cha-Dance Party Vol.5 東京パフォーマンスドール
(木原、米光、篠原涼、川村、市井、穴井、八木田)
(ジャケット撮影 木伏夏子、関ひろみ、島津志穂/TPD2軍) 1992/12/02
1993(人気絶頂期)
1993/01/15
ソロアルバム7枚同時リリース
SATOMI from Tokyo Performance Doll/木原さとみ
RYOKO from Tokyo Performance Doll/篠原涼子
MIHO from Tokyo Performance Doll/米光美保
CHISA from Tokyo Performance Doll/川村知沙
YURI from Tokyo Performance Doll/市井由理
YUKO from Tokyo Performance Doll/穴井夕子
MAI from Tokyo Performance Doll/八木田麻衣
28TH SINGLE:TRUE /TRUE(米光only) 米光倶楽部(米光+伊集院光) 1993/03/10
29TH SINGLE:史上最大の誘惑/Girl Friend VIVA!(穴井・市井・八木田) 1993/04/21
30TH SINGLE:キスは少年を浪費する/SLASH DANCE 東京パフォーマンスドール
(C/W:米光、川村、市井、八木田) 1993/05/21
6TH ALBUM
MAKE IT TRUE〜Cha-Dance Party Vol.6
(木原、米光、篠原涼、川村、市井、穴井、八木田) 1993/06/23
31TH SINGLE:ひらき直りも芸のうち/浮気な恋ほど女を磨く VIVA! 1993/08/21
32TH SINGLE:ダイヤモンドは傷つかない/涙のパラダイス 東京パフォーマンスドール 1993/11/10
7TH ALBUM
SEVEN ON SEVEN〜Cha-Dance Party Vol.7 東京パフォーマンスドール
(木原、米光、篠原涼、川村、市井、穴井、八木田) 1993/11/10
8TH ALBUM
DASH!!〜Cha-Dance Party Vol.7.5 1993.11.10 TPD DASH!!
(2軍メンバー;木伏夏子、櫃割香奈子、関ひろみ、島津志穂、大藤史、中川雅子、名取美穂、藤本沙織、篠
原 礼、東亜佐美)
1994(人気下降期)
1994/02/02
ソロシングル7枚同時リリース
33TH SINGLE:太陽はくやしがらない/エモーションが予言した 木原さとみ
34TH SINGLE:あなただけ感じて/瞳の中の永遠 米光美保
35TH SINGLE:Sincerely/MOONLIGHT CALL 篠原涼子
36TH SINGLE:GET ON IT/きっと愛はLady First 川村知砂
37TH SINGLE:Rainbow Skip/ さよならの秘密 市井由理
38TH SINGLE:WILD CHILD/月に吠える 穴井夕子
39TH SINGLE:逢いたい人の名を/〜Dear Boys〜 ハートのクレッシェント 八木田麻衣
40TH SINGLE:空に太陽がある限り/Voices TPD DASH!! 1994/04/16
9TH ALBUM
[Just]FINE〜Cha-Dance Party Vol.8 TPD DASH!!
(木伏、櫃割、関、島津、大藤、中川、名取、篠原礼、東) 1994/05/01
41TH SINGLE:SUNDAY 6:00PM/夕なぎの手のひら 米光美保 1994/05/21
42TH SINGLE:HEAVEN2/Love Hurricane 穴井夕子 1994/06/01
43TH SINGLE:DANCE FOR YOUR FUTURE/想い出の中へ 川村知砂
1994/06/06
44TH SINGLE:キスと流星/八木田麻衣の劇的恋愛のススメ 八木田麻衣
1994/06/22
45TH SINGLE:今夜はネヴァーストップ/ダイヤモンドは傷つかない 東京パフォーマンスドール 1994/07/01
10TH ALBUM
NEVER STOP〜Cha-Dance Party Vol.9 東京パフォーマンスドール
(木原、米光、篠原涼、川村、市井、穴井、八木田) 1994/08/01
46TH SINGLE:恋しさとせつなさと心強さと/GooD-LucK 篠原涼子
1994/07/21
47TH SINGLE:DA.YO.NE/素直に EASTEND+YURI(>市井由理)1994/08/21
48TH SINGLE:STOP/あなたが心にふたりいる 穴井夕子 1994/09/07
49TH SINGLE:恋のイエローカードパトロール/あなたはデブでもいい人だから
TWOTOPS(木伏、櫃割)(C/W木伏ソロ)
>1994年9月 篠原、市井、米光3名卒業、ソロ転向
50TH SINGLE:CRIME CRACKERS/星たちの伝説 穴井夕子 1994/11/21
1995(解散)
11TH ALBUM(BEST) TPD COLLECTION from The Early Cha-Dance Party 〜Cha-Dance Party Vol.10
12TH ALBUM(REMIX BEST) TPD The Remix〜Cha-Dance Party Vol.11
東京パフォーマンスドール (木原、米光、篠原涼、川村、市井、穴井、八木田)
1995/03/08 同時リリース
>1995年3月 穴井卒業
51TH SINGLE:夏がキライ/違う明日を迎えたい 東亜佐美 1995/05/21
52TH SINGLE:気持ちはING/ Check My Heart〜空が壊れないように〜
Les,TPD(川村、木伏、櫃割、関) 1995/07/17
13TH ALBUM(LAST ALBUM)
Check My Heart 〜Cha-Dance Party Vol.12
東京パフォーマンスドール(木原、川村、八木田、木伏、櫃割、関)
1995/08/01
53TH SINGLE:ぴゅんぴゅんの夏 バニラシェイカーズ(>八木田麻衣) 1995/07/21
54TH SINGLE:仕事も遊びも夢も友達も趣味も恋も/食欲の秋こそダイエットチャンス 東亜佐美 1995/09/21
55TH SINGLE:カーニヴァル[Carnival] /カーニヴァル[Carnival] (REMIXED Version)
木原さとみ 1995/10/21
56TH SINGLE:夜空に響け/DAMEGE CONTROL Les,TPD 1996/04/25
>1995年10月 全員TPD卒業
>1996年10月-10月 第2期TPD
データ参考(THANKS!!)
引用:http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/EPIC/EPIC25/EPIC25conts/index.html
アイドルへも本格的挑戦!東京パフォーマンス・ドールから出た篠原涼子が大ヒット
設立初期には、大滝裕子さんとか何人かアイドルと言われる人はいたんですが、その後はロック・カンパニーEPICと
いう感じで突き進んで行きましたよね。そんな中で、アイドルをやることに関しては、社内でもずいぶん賛否両論あっ た。86年に渡辺満理奈さんをやるときにみんなで何度も議論をしましたね。でも、まぁ、やり方がわからなかったし、 それをプロパーでできる人間もいなかった、というのが正直なところ。その時のことも踏まえて、この東京パフォーマン ス・ドールの時はもう、一気にやっちゃおうと完全な別働隊を作ったんです。その名もPDルーム。同じフロアにはあっ たんですが、制作はもちろん宣伝も専任でいて。数年前のEAST MEETS WESTと同じ感じですね。
とにかくライブの動員を増やす、すべてはそこから。CD売上はその後についてくる
PDルームというのは、89年ぐらいから構想があって、90年初頭に、Fプロジェクトという名前で立ちあがったんです。F
プロのFは、EPIC・ソニーが関係していたインディーズ・レーベルのFILEレコードのこと。ロック・カンパニーとしてEPICを 立ち上げた時も同じだと思うんですが、当時の社長の丸山さんの考え方で、アイドル冬の時代だからこそ逆にそこに 席がある。新しい形でアイドルをやりたい、という意識のもとに、このプロジェクトは始まったんです。だから、80年代 の渡辺満里奈などの流れとはまったく関係が無い。そのFプロジェクトが、発展的にPDルームになった。これは、文字 通り、東京パフォーマンス・ドール(TPD)をやるためだけの部門です。イメージとしては、当時欧米で大流行していたユ ーロ・ビート・レーベルのPWLなんかもあったかな。組織は、私が課長でいて、他に制作に清水彰彦、宣伝とマネージ メントを関島慶典、というトライアングル体制でスタートしました。
方法論としては、とにかくライブをやって、ライブで動員を増やして、それでCDを売ろうと。だから、言ってみればCDは
名刺代わりだということで、月一枚ぐらいのハイペースで出していきました。制作担当は本当に大変だったと思う。か たや原宿のライブ・ハウス、ルイードで、毎週土、日のライブ。夏休み期間は月曜以外は毎日ライブ。マネージメントも 大変でしたね。ユーミンなどのライブ制作をしていた中村龍史さんに演出をお願いしました。立ちあがりは、90年の6 月かな。次の年の3月3日に、原宿クエスト・ホール、そして日本青年館、93年の武道館、と数年かけて動員は増や すことができました。でも、最初のルイードは入ってなかったな。始めのころは、メンバーが7人でしょ、客よりメンバー が多い時もあった。当時のライバルとして意識していたのは、森高千里あたり。昔のアイドルよりは、J-POP色が強 まっていった、そんな時代ですよね。武道館をやった時は、実は解散寸前で、スタッフ的には、それを維持させるほう のが大変でした。ですから感動という意味では、ライブ・ハウスから飛びでて、クエスト・ホールに、3、400人を入れた 時がいちばん感動したかな。
TPDは、CDウォークマンのCMや、グリコのCMをやったりしてオリコン・チャートで上のほうに行くようになってたんだけ
ど、CDを売ることよりも、ライブ動員が増えることを常に優先していた。最初にCDを、本当に真剣に、売ろうと考えた のは、武道館をやった93年のころ。「KISSは少年を浪費する」。ここから小室哲哉さんが登場するんです。
そして、94年は、本当にきちっとCDを売るために、TPD全体と並行して、ソロでやる、という方針も組み始めたんで
す。まず、一軍所属の7人のメンバーがそれぞれ方針を組んだ。でも、当初、篠原涼子だけは無かったんです。彼女 はすでに、TVで単独で出てたりして、すでに顔だけは売れていた。そんな中、丸山社長から電話があって、「映画 『STREET FIGHTER2』の主題歌に篠原涼子が決まった」ということで、小室さんとのプロジェクトが動き始めたんで す。小室さんはルイードでやっているころに見に来ていて、その時、篠原を見ていました。すでに、その時に、何か感 じたんでしょうね。その後、TMのプロモ・ビデオに出てたりもするんですよ。そんな流れもあって、ここで勝負しなきゃ っていうときに、「恋しさと せつなさと 心強さと」ができたんです。
あの曲は、実は、篠原涼子with t.komuro名義なんですよ。小室さんとして、TRFはやっていましたがアイドルっぽい
ものを本格的に手がけたのは初めてだったと思います。曲だけかなって思ってたら、詞も書くし、自分がPVも出るし、 完全なプロデュースですよね。当時、TMNも解散で、ソロワークに入るという時の一発目の仕事でした。第一印象 は、曲が素晴らしい。涼子の歌も入っていないデモの時に聞いたんですが、これは売れるなと思った。篠原も新人だ からこそ、絶対ハマル。小室さんの戦略なんだけど、彼は高い音域を意識して曲作るじゃないですか。涼子本人は、 とにかく「難しい」と言ってました。今にして思えば、その後の小室さんのプロデュース活動にとってもスタートだった し、EPICにとっても200万枚超というのは歴代2番目の記録なのかな。まさしく時代を作った歌ですよね。
同じく、TPDからのミリオン・ヒットというとEASTEND×YURIの「DA.YO.NE」。市井由里はTPDのころ「おちゃめなジュリ
エット」で、ラップをやってて。それが良くて、本人もクラブとか好きみたいだったし、歌よりはラップで行こう、という制 作担当とマネジメント担当の判断は、さすがでしたね。これには布石があって、94年にシアターアップルで、一軍7人 のソロ・ライブをやった時、そこでEASTENDとやってたんですよ。「DA.YO.NE 」は、最初は、FILEレコードでインディー ズ発売。その後、札幌のFM局NORTH WAVEで、かかって話題になり全国発売。そして、J-WAVEと全国のFMが乗 ってきてぐんと数字がのびていきました。年末の賞番組のTVでの紹介の時によく"久々にラジオから生まれたヒット" と紹介されましたね。
結果的にPDルームは、本体のTPDは横浜アリーナ2DAYSまでやったんだけどCDセールス的には成功しなかった。
でも、その後のソロになって、篠原、市井の2人がミリオン・ヒットを出した、という感じかな。
PDルームは確かに独立組織なんですが、マインドはEPICだから、特別にアイドルやっているという意識は無かったで
すね。方法論としては、ライブから始める。ライブをやりながらメンバーのスキルを高めるために毎日レッスンもさせて いた。普通のアイドルからアーティストへと成長していったんですね。EPICマインドというのは「音楽が好き。アーティ ストが好き。」っていうことかな。常にアーティストには、すごく敬意をはらっていました。メディアへの見え方はアイドル だとしても、やってるほうは、TPDのメンバーもアーティストなんだと常に考えていました。
清水一光(現キューン・レコード 第3制作部 部長)
|